マンガ道。

漫画家森山まみちのブログです。秋田書店ミステリーボニータにて宮沢賢治の物語「銀のノスタルヂア」を不定期掲載。こちらは主に私的日記です。

コミティアとわたし。

コミティアで知り合ったHさんから参加のお誘いを

いただいた。

 

 

 

私が今落ち込んでいるのをみて漫画の情熱を

取り戻すよう、お心遣いくださったのだ。

 

 

しかし、その日は娘のお稽古事に付き添わねばならないことと、

 

何より、コミティアという熱狂的な創作の情熱がほとばしる

場に今の自分はおとろしくて行けない。

 

いける気力がもてない。。。。。

 

 

 

そんな理由で今回は見送ることにした。

Hさん、ありがとう。ごめんなさい。

 

 

 

今日は、自分とコミティアについて話そうと思う。

 

 

 

私がコミティアに参加したのはたしか25、26歳頃かと思う。

 

当時は今ほど入場者数が多くなく、やっと入場者数が

一万人を超え、まだゆとりがあったように覚えている。

 

その時にはじめて同人誌なるものを作った。

 

拙いコピー本であったが、

 

 

作ったからにはトップで読まれたいと思った。

 

コミティアには読書会というものがあり、

スタッフや有志が、出品した作品を読み、評価を投票するシステムがある。

 

 

私は不遜にも、初めて参加するにもかかわらず、

 

そこで一位をとりたいと狙っていた。

 

 

初めて描いた作品は、

戦前の横浜で花売りをする少女と

新聞記者との淡い恋愛を描いたものだったが、

 

その漫画に賭けるわたしは、ちょっと異常だった。

 

昼に夜に原稿を作ることに

夢中になり、バイトに行く以外はずっと

畳五畳の小さい黄色の机しかない汚い部屋で

墨にまみれて描き続けていた。

 

もっとひどいことをいえば、バイトを休んでまで描いていた。

 

それだけ描くことが楽しかったし、

まだ若く気力も体力もみなぎっていた。

 

 

女も26。

 

ここでトップをとらねば、もう後がない、

絶対上に行ってやる。

 

そんな心持ちであった。

 

 

結果、出品した後に送られてきた読書会の投票の結果は

3位だったか4位だった。

 

 

わたしはうなだれ、舌打ちした。

冊子を放り投げた。

トップでなければ、当時の自分には意味が持てなかった。

その夜はずっと悔し泣きした。

 

 

そこから毎回新作をヘタなコピー本で

持ち込むようになったが、

 

あくまでプロになりたかったわたしは

毎回の売り上げ金額を全て日本盲導犬協会に寄付していた。

お金がなければ後腐れなく同人をやめられるだろう、という

魂胆であった。

 

 

一年後、その同人活動をきっかけに

雑誌の担当さんがついてくださり、

デビューに向けて猛進する時が始まった。

 

 

デビューするにはまず雑誌の漫画賞でトップを獲得せねばならない。

 

そこでまた昼に夜に夢中になり担当さんの

ご指導のもと漫画を描いた。

 

ここでも戦前の靴磨きの女の子と

カメラマンを目指す少年の恋を描いた。

 

 

そしてなんとか努力賞みたいなものを頂き、

 

 

本格的に雑誌に掲載されるデビュー作品を

今度は作ることになった。

 

 

雨の妖精と音楽隊の少年の交流のお話を描き、

 

28歳になった秋にやっとデビューした。

 

 

と同時に、コミティアというフィールドから

じわじわと離れるようになった。

 

理由は仕事に専念したいのと、

不思議と自分の作品が即売会であまり売れなくなったこと、

読者投票でもうまく入らなくなったことだった。

 

 

これはもう撤退しろということだな、と

察知した私は、しばらくコミティアから距離を置くことになった。

 

 

たまに一般参加に行って持ち込んだ原稿を出張編集部で酷評されたり、

どんどん参加人数が増えてパニックになりそうになったりで、

そのまま足は遠のいてしまった。

 

 

ちなみに、自分の正直な感想を言うと、

なぜ出張編集部の編集は上から目線の人が多いのか

疑問である。

たまたまそういう人ばかりにでくわしただけだろうか。。。

なので、出張編集部は私自身はあまり当てにはしていない。

正直に言って、不遜な人が多い、という印象である。

 

 

コミティアに参加しなくなってから、

そして、自分の仕事がうまく回らなくなってきてから、

 

自分がいた時のコミティアより、一気に時代が加速している、

自分はもう古い作家かもしれない。。。。

誰にも見向きもされない。。。。

という寂寥感に襲われて、一般客として行くたびにうなだれた。

 

 

コミティアは間違いなく自分にとって

漫画のステップアップをはかれた絶好の場所であったが、

 

わたしには一定のファン、と呼ばれるものがいない、

 

ということをありありと感じ取れる場所にもなった。

 

そしてそのファンがいない、ということが、

全くの無名であるということが

のちにコミックスが売れない、ということにも

繋がって行く。

 

 

 

 

ただ、ただ、である。

 

本当は、

 

そんなことなど考えずに、もっと楽に、楽しく

自由に漫画を発表し続けてこれたらよかった。

 

 

自分が作りたいと思ったものを

自由に生み出し、発表できる場所。

 

 

へんな競争意識などコミティアにおいては

いらないものだった、というのが、

今の私の率直な意見である。

 

 

なにより、個人の表現の自由を解放してくれている

救いでもある場所なのだから。

 

 

 

。。。。今の自分には、まだあの情熱と熱気に触れる

心の強さは持てていないが、

もう少し元気が出たら、コピー本でも作って

参加したいとも思っている。

 

 

二十代後半、人生の上で超ぐうたらなわたしがあそこまで

まじめに取り組んだ時期はなかったかもしれない。

 

 

コミティアもまた、わたしの1つの青春の影であった。